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労働の対価としてのおカネ。労働観について。

…つまり、非良心的な行動が褒美を受け、良心的に行動すると経済的に破滅するのがいまの経済システムです。この経済システムは、それ自体が非倫理的です。私の考えでは、その原因は現在の貨幣、つまり好きなだけ増やすことができる紙幣がいまだに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯誤にあります。これはとうの昔にそうではなくなっています。貨幣は一人歩きしているのです。

エンデの遺言「根源からお金を問うこと」



いまだにお金は額に汗して稼ぐもの、と信じている純朴な人は少ないと思います。

田畑を耕して米や野菜を得て、それを単に食べていれば収穫は労働の対価という実感が得られます。生産物を換金するにしても、おカネというものが金や銀、またはそれらに交換できる兌換紙幣だった時代はまだ良かったと思います。

お金は額に汗して働いた結果得られるもの、という認識はドルがゴールドと交換できなくなった時点から通用しなくなりました。いくらでも増やせる紙幣に根源的な価値はありません。労働とお金はイコールでつながっていません。

重要なポイントは、パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つの異なる種類のお金であるという認識です。大規模資本としてのお金は、通常マネージャーが管理して最大の利潤を生むように投資されます。そうして資本は増え、成長します。とくに先進国の資本はとどまることを知らぬかのように増えつづけ、そして世界の5分の4はますます貧しくなっていきます。というのもこの成長は無からくるのではなく、どこかがその犠牲になっているからです。

エンデの遺言「根源からお金を問うこと」



このあとおカネを労働や物的価値の対価として取り戻すためには、いまの貨幣システムの何を変えればよいか、と続きます。

エンデは1995年に亡くなっていますが、その後はアジア通貨危機や資源価値の暴落、1998年のロシア危機やヘッジファンドの破綻があってエンデの遺言はまるで予言のようになっています。

エンデの警鐘は生かされず、状況は現在ますます悪化しています。

ふと思うのは、いまのセミリタイア業界の主力である30〜40歳代の人間が物心ついたころはすでにドルは不換紙幣で、「好きなだけ増やすことができる紙幣」でした。その親世代は、兌換紙幣の時代に育っています。

だから「おカネは額に汗して稼ぐもの」という認識はせいぜい我々の親世代までしか通用しないと思います。その世代ですら、最近は考えを改めはじめています。

不条理な労働から逃れるには、「根源からお金を問うこと」に取り組む必要があります。

エンデの遺言「根源からお金を問うこと」



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コメント

No title
実体経済よりも金融経済のほうがはるかに大きい時代になったからこの遺言も分かりやすいですねえ。
Re: No title
> 実体経済よりも金融経済のほうがはるかに大きい時代になったからこの遺言も分かりやすいですねえ。

エンデの児童文学も金融物語として読むと示唆に富んで面白いです

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