樋口一葉(Wikipedia)

三宅花圃の紹介で平田禿木と知り合った一葉は、「雪の日」など複数作品を『文学界』で発表。このころ、検事になったかつての許婚者阪本三郎(前述の渋谷三郎)が求婚してくるが拒否する。生活苦打開のため相場師になろうと占い師の久佐賀義孝に接近し、借金を申し込む。
吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いたが1894年(明治27年)5月には店を引き払い、本郷区丸山福山町(現在の西片一丁目)に転居する。この時の経験が後に代表作となる小説「たけくらべ」の題材となっている。


樋口一葉という人は短い生涯を通じておおむね貧乏だったので、何度か窮状の打開を試みて勝負に出ています。

それが雑貨屋の開業と、この相場師志願です。どちらも失敗に終わりました。

この金策は失敗に終わっているので、私は樋口一葉には相場経験は無いものだと思っていましたが、「今昔お金恋しぐれ」(鍋島高明著、河出書房新社)という本を読んでみると、

一葉の相場志願は久佐賀の一言で却下されるが、久佐賀の言葉の中に「売買相場の勝ち負けを争ふが如きは、さえぎってやめ申すべし」とあるのが、気になる。

「さえぎって」とは、すでに進行しているのを途中で、という意味だとすれば、この時点で一葉はすでに相場を仕掛けていたことになるからだ。


とあり、樋口一葉には相場経験があり当時としても珍しい女相場師だった可能性があるようです。

もともと樋口一葉は単純労働を蔑視する所があり、そして当時の女性の社会的地位の低さからして単純労働によらずおカネを稼ごうとすれば、それこそ相場師になるか小説を書くしか無かったのではないでしょうか。

樋口一葉の父親も山師的な生涯を送っていて、そういう血筋なのかもしれません。

現代でも資力に乏しく社会的地位が低いものが大金を稼ごうと思えば、トレーダーになるかマンガ家にでもなって一発当てるぐらいしか無いので事情は似たようなものです。

この当時の1890 年代の世相はまさに世紀末的様相を呈していて、日清戦争の日本の勝利を通じてコメ相場のバブルが起こり、多数の成功者と破産者を出したようです。有名な所ではパナソニック(松下電器)の松下幸之助の父親がコメ相場で破産しています。

しかし破産者の息子が経営の神様になったり、一生貧乏だった人がお札の肖像になったりするのは面白いですね。

樋口一葉 (コミック版世界の伝記)



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