朝日文左衛門は江戸時代の尾張藩の武士。異常に筆まめで元禄から享保にかけて26年間37冊、字数にして200万字も日記を書き続けた男です。

日記の内容は日常の身辺の事から当時の心中・盗難・殺人・姦通などの風聞を記録した雑多なもので、現代で言うと毎日更新の雑記ブロガー(非公開)みたいなものでしょうか。

とにかく記録魔であり特にゴシップが大好きで、何でも書き留めてあるので江戸時代を知る上で資料性が高いそうです(江戸時代の地震記録にもなってる)。

この日記のタイトルが「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」であり、中公新書から出ている解説書が神坂次郎著「元禄御畳奉行の日記」です。


なんと巨匠横山光輝による漫画化もされています。
この日記には生類憐みの令の取り締まりを尾張藩が実質サボタージュしていた件や、藩主周辺のゴシップ話の記録もあり、そのせいか尾張藩の書庫で戦後まで長らく眠っていたそうで……

そんなものなんですぐに処分されなかったのか、尾張徳川家というのは御三家筆頭の天下の大藩で、そのせいかのんびりした家風という印象を受けます。

この文左衛門が太平の世のとんでもなくダメな武士だという話ですが、実際江戸時代の武士というのは一種の公務員なのに仕事はなく、人数も多いので一人で出来る仕事を三人で担当している余剰人員、いわば遊民です。

そこそこの家格の家に生まれて跡を継げば一生ロクに仕事せずに遊んで暮らせるので、生まれついてのセミリタイア身分という訳です。

文左衛門は100石取りの家の跡取りに生まれてそこそこの家格であり、先祖代々の仕事は名古屋城の警備担当ですが何せ人数は余っているので出勤は月に三日しかありません。三日て。

現代でもそうですがこういうヒマ仕事は能力より人間関係の調整の方が大事です。という訳で初出勤の日の夜から大宴会。


 

画像下の方で三味線を弾くマネをしてるのが朝日文左衛門氏です。これで初出勤の当直中の夜です。警備担当なのに当時は日中酒を飲んでも特におとがめは無かったそうで呆れます。

こんな警備体制で問題は無かったのか、というとやはりあったようで、当の文左衛門の当直日の前日、天下の名古屋城の蔵に泥棒が侵入するという事件が起きます。

当日の当直員は後で侵入に気付いたものの責任を問われるのを恐れて「無かったこと」にしてしまい、そのまま文左衛門に引き継ぎ。後で大騒ぎになりこの前任者は切腹しましたが文左衛門にお咎めは無かったようです。文左衛門妙に運がいいですね。

「御畳(おたたみ)奉行」というのは文左衛門の代に新設された役職で、奉行としては一番下の役職ですが奉行は奉行なので手当てが付きます。100石は米100俵相当で御畳奉行の手当ては40俵というから4割の収入アップ。かなり生活に余裕があります。

牧歌的な職名ですが仕事の内容は畳表の買い付けや管理で、実務は部下に投げていればいいので、実質的な仕事はたまの公務出張で京都や大阪に出向いて商人の接待を受ける事です。ふざけるなと(笑)

文左衛門の趣味はゴシップ収集と日記の他は、若い頃はスポーツ感覚のヘタクソな武芸全般、飽きっぽいので何にでも手を出し、釣り、投げ網、芝居見物、作詩など多彩です。

酒好きの女好きで浮気癖?があり、それが原因で一度離縁、再婚後もやはり浮気が原因で家に居ずらくなりまた酒を飲むというループで、それがたたり40代で死亡。日記もそこで終わっています。

早死にですがそれもこれもセミリタイア生活がヒマすぎて退屈を持て余していたのが原因ではないでしょうか。はたから見ると結構な人生じゃないかと思えます。

以上、江戸時代のそこそこの武士に生まれれば無能でも労せずしてセミリタイア状態だったのにな、という記事でした。